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日本古典論

西川玉壷 日本古典論 水交社記事第7巻第4号附録 水交社 明治43年12月31日 284頁 A5S 非売品

我が古典は尋常一様単純なる歴史にあらず、
我が祖宗の神聖なる必用に依つて歴史の美化され、理想化され、経典乃至法律化され、以て我が日本民族の開闢しれる大八洲帝国万世無窮の宝典たらしめられしものなり、
之に依つて我が国民は現に世界無比の国体を保持し、三千年来外国の藩属と成らず、亡国の遺民とならず、対岸の大小国の如く王統変更し又変更するが如き失体を発せず、他の強者の蹂躙を受けず、神代より今日に至るまで厳然として独立帝国の稜威を毀損せられず、万世一系の皇統を奉載して、以て民族的血液の之と共に永遠無窮なるを表示し、時に応じて世界の有ゆる知識学術制度実力を吸収して其運用を沮滞せらるゝことなきものは誠に我が古典の絶美絶大なる光輝と感化とに職由するものにして、此光輝は過去三千年間に於けるが如く招来また無究に赫耀たらざるべからず、
是れ我が畏友木村君が論ぜし如く独露の強兵も之を奪ふことを得ず、全米の金力も之を買ふことを得ざる底の尊厳高貴の物たり、如何ぞ軽薄浅薄の学者一指も之に触るゝことを容すべけんや(19-20P)


西川玉壷(権)は、御皇室のことを古典と呼びならわす。
さすがに、頭のきれる人士はいるもので、慥に古典呼ぶに相ふさわしい。
その上さらに著者は、木村鷹太郎の友人でもあった。
これは皇家神道研究者には価値があろう。

驚くべき事に、『日本古典論』という名称の書物は活字刊本の単品では本書以外にはなんと存在せず、唯一の著作となっている。出版史で本当にそうなのかもう少し調べる必要もあるが、どうやら現実にそうであるらしい。

つまり、書名ならびに年代を優先する場合のみならず、原則的には本書内容が、必ず始めに典拠基準とされねばならないのである。
それを見越して、著者は敢えてこの書名を選んだとすれば、上梓よりほぼ九十数年後の今日に我々が紐解くべき価値があきらかにある。

今後も左畜どもが悪辣な手段によりて、さまざまな誹謗中傷を繰り広げ、どれほど古典という語を冒涜しようとするかは目に見えるようだが、本書の存在によりて古典という語彙には新たな意義が加わったのである。

水交社のOBらは、本書の内容を公知させようともせず、いったい何をやっていたのか。
如何に勉強不足かは、亞戦後の左畜が猛威を振るった昭和後期に本書を引用した方がもし一人もいないとすれば、ほとんどそれはだらしない水交社の罪にきせられる。

また、『日本古典論』のタームで検索した人士が、もし出版業界にもただの一人もいなかったとすれば、それは業界人の方々としても大いなる自戒とせねばならぬ恥ずべき出来事ではないのだろうか。
http://www.kosho.or.jp/servlet/bookselect.Kihon_result?p_gyou=50&p_shomei_option=2&p_chosya_option=2&p_shomei=%93%FA%96%7B%8C%C3%93T%98_
by tengokutaihei | 2007-09-30 02:47 | 愛国 | Trackback | Comments(0)
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