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日本古典論 2007年 09月 30日
![]() 西川玉壷 日本古典論 水交社記事第7巻第4号附録 水交社 明治43年12月31日 284頁 A5S 非売品 我が古典は尋常一様単純なる歴史にあらず、 西川玉壷(権)は、御皇室のことを古典と呼びならわす。 さすがに、頭のきれる人士はいるもので、慥に古典呼ぶに相ふさわしい。 その上さらに著者は、木村鷹太郎の友人でもあった。 これは皇家神道研究者には価値があろう。 驚くべき事に、『日本古典論』という名称の書物は活字刊本の単品では本書以外にはなんと存在せず、唯一の著作となっている。出版史で本当にそうなのかもう少し調べる必要もあるが、どうやら現実にそうであるらしい。 つまり、書名ならびに年代を優先する場合のみならず、原則的には本書内容が、必ず始めに典拠基準とされねばならないのである。 それを見越して、著者は敢えてこの書名を選んだとすれば、上梓よりほぼ九十数年後の今日に我々が紐解くべき価値があきらかにある。 今後も左畜どもが悪辣な手段によりて、さまざまな誹謗中傷を繰り広げ、どれほど古典という語を冒涜しようとするかは目に見えるようだが、本書の存在によりて古典という語彙には新たな意義が加わったのである。 水交社のOBらは、本書の内容を公知させようともせず、いったい何をやっていたのか。 如何に勉強不足かは、亞戦後の左畜が猛威を振るった昭和後期に本書を引用した方がもし一人もいないとすれば、ほとんどそれはだらしない水交社の罪にきせられる。 また、『日本古典論』のタームで検索した人士が、もし出版業界にもただの一人もいなかったとすれば、それは業界人の方々としても大いなる自戒とせねばならぬ恥ずべき出来事ではないのだろうか。 http://www.kosho.or.jp/servlet/bookselect.Kihon_result?p_gyou=50&p_shomei_option=2&p_chosya_option=2&p_shomei=%93%FA%96%7B%8C%C3%93T%98_ |
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