楽園のデザイン ジョン・ブルックス 鹿島出版会 |

ジョン・ブルックス 楽園のデザイン イスラムの庭園文化 鹿島出版会
平成2年6月5日 278頁 5500円
立ち現れるペルシアの影響は、ティムール以前までに遡る。
中央アジアからの侵入者はすべて(アレク大王以来)必然的に
ペルシア文化の余韻をたずさえてきた。
ヒンドゥーという言葉さえ、インド人を意味するペルシア語である。
シンドゥーがペルシアにきてsが落ちヒンドゥーとなった。
(134)
イスラム芸術はヒンドウー芸術の対極に位置した。
ヒンドウーの装飾が個別的で、不規則で、具象的であったのに対し
イスラムの装飾は幾何学的で、連続的で、抽象的であった。
ヒンドゥー芸術は情報の伝達として、二義的にしか
書を使用しなかったが、
イスラム芸術はカリグラフィーを表現手段の一つとして用い、
まさに神の言葉の乗物としたのである。
(137)
章は主にムガール王朝初代皇帝パープルについて
語っているのだが、丘陵都市に比して
アーグラ、ラホール、デリーといった
周辺都市は閉じられた庭園でもあるという。
それでもともにエジプトの影響も強いと述べる。
後段は、当然ながら著者はイスラムよりなのだが
インド書道もあって、さかんなイスラム書道ほど
著名ではないだけ。だいたい
ヒンズー文献が数10トンの原典山ほどありて多すぎる。
さらにいうならば、チベット経由の曼陀羅図が
ヒンドウーにはあるけれど、イスラムには原則としてない。
わずかに対比的ながらも並べ絵がある。
だからカリグラフィーよりも
マンダラ・アートを選択したのである。
レコンキスタと十字軍での奪回戦なのか掠奪戦争なのか、
イスラムの富と芸に驚愕したヨーロッパである。
殊にヨロパ人が驚愕したのは、
ペルシア人とヒンズー人が、宗教の名をもって
アヘンをとりいれたる神秘の儀式を
美しくもガンガン執り行っていたことである。
ヒンズー一派からみる分派の仏教でいえば
護摩炊きであり、アヘンやら香薬を炊き上げて
神秘の儀式を継続した。散籠ともいわれた。
既存の大麻、キノコしか知らない
神道やケルト、ゲルマン、キリシタンは
その精神技術テクノロジー体系に驚愕したのであり、
日本で仏教、中央アジア・アフリカでイスラムが流行したのは、
そのケシの花栽培テクニックと活用体系にあった。
父の代からマホメット一族一派が
ペルシア・パルティアから技法をパクってきたものだが
アレンジが絶妙だったのである。
但、シナ道教は、いつもように技法パーツをいくつか
取り入れパクっただけで、信仰全てをハネ返した。
心から不純というか、シナ人以外はみな土人と
心底からしてそう思っているので、
出身地別のマフィアン・コミニティーに対抗すべくもない
イスラムだのキリシタンだのには引っ掛かりもしない。
蒋介石が援助ビジネスとしてキリシタンに変身したようなもの。
宋一族との山分けが凄いだろう。
インドのヒンズーでは、後発のイスラムは主に
安かろう悪かろうアヘンを賎民にバラまいたのである。
ここまで明確には新興仏教はやらなかったがね。
アラーの名を唱えアヘンを吸い革命戦士となりカーストを打破する
その意では、まさに被差別部落革命ではあった。
でなければ既存の原始習俗と民俗宗教がある中で
イスラムと仏教が食い込めた筈がない。
モザイク、モスク、色遣いと
イスラム庭園とはその結晶体系である。
今現在でいえば、ラリパッパの革命戦士様にはだ、
白き結晶と、手作りAK47、手製爆弾IEDのほかに
いったい何が必要といふのかね。
麻薬ジャンキーの視点からみた、イスラム芸術の神秘主義が
もっともっと必要されるだろう。
アルハンブラ宮殿で 2姉妹の間(82) は
カラーで見聞した方がいいだろう、
その為のお部屋なのだから。